あご狙い気味のビーンボール

まだほとんど読んでないけど、ドッグスレッドのいくつかのメインキャラの立場とかって、作者の経験からきてるんかなあ

ゴールデンカムイの中盤以降はなんだったんだろうなあ、とずっと思っていたんだよな、、、という私のような人がいるのだと思うんだけど、作者は大ヒットと商業展開のすさまじい加速の一方で、そういう声も聞こえていたのかもしれないから、

誰の作品なんだこれ、っていう違和感というか

自分も何度か経験があるけど、評価がついた仕事にはつきものだから、この手の大金が飛び交う仕事なら最たるものなんだろうな、と

当然邪推だし、まだちょびっとしか読んでないんだけども、

(でもちょびっとしか読んでないなら口を開くべきではない、とは思わず、ちょびっと読んだだけの時点の感想というだけなので、好き勝手に書くのだけども)

そんで、

今まだ最初の大会直後の「ズン」のシーンだから、このあと何が描かれるのか全く読めんけど

いきなり主要メンバーの気持ちの吐露があった(えっ早くね、ということは、、、)と思ったら、やっぱりただものではないビーンボール気味の内角高めの変化球が

きたぜきたぜって

あぶねーな一瞬油断したぜ、まあわかってたけどな(ヒヤアセタラー

またあれかな、もうそこから去った過去の誰かの執着が残り、持ち主が離れて怨念化したその意思に、ただ必死に今を生きようとする人々が巻き込まれて、その必死さと怨念が歪んだ形で入り混じって共鳴して、いつの間にか取り返しのつかない彼岸に脚を踏み入れる、

しかし熱に当てられた自分の中にはもとの自分もあり、行動は狂ってはいるが認知や自覚が狂っているのでもなく、一つの体と人生の中にあるそれは今でもどちらも自分自身であり同一人物である、

そんな人々それぞれの執念じみた局所最適が全体最適を狂わせるどころか、いつの間にか局所最適化すらも狂わせていき、利己は勢いだけで行き場を失い、狂気がなければ振り落とされる、

振り返ればもはや何のために戦っていたのかわからず、しかしここまで来た以上は残ったものを取り合うしかない、生きている以上は時間を前に進めるしかなく、結末が何であれそれがこの世の理でありそれだけがあるべき自然な姿、

それは自然の受容であり自己と運命のままならなさの受容であり、それは敵性の他者への共感ですらある、

純粋、熱量、執念じみた局所最適が全体最適はおろかもはや誰の最適にすらならないさま(短い熟語がねえ、利己やエゴだと足りないし)、狂乱、滑稽さ、悲惨さ、自然、受容、共感、終焉と安らぎ、自然、

、みたいな、そんな狂気の沙汰、自然の中のちょっとした偏り、たまたまその真ん中にいた人たちのひとときの祭り、的なものになっていくんだろうかね

そういう混沌として破滅的だけど、しかし何一つ自然のままであるような、そういう群像劇はいいよなあ

今いい例えが思いつかんけど、例えばパルプフィクションとかそんな感じかなあ(まあ破滅的といえばやっぱり日本のマンガ、アニメとかイギリス系の作品とかそっちなんかな、なんとなく)